1955年、反李承晩勢力として民主党が旗揚げしたが、ここに張勉も加わり再び政治活動を再開した。1956年の大統領選挙では民主党副大統領(韓国では「副統領」と呼ぶ)候補として立候補したが、民主党の大統領候補の申翼煕が遊説中、急逝した。そのため大統領は与党自由党の李承晩となるものの、正・副大統領は別々に選ばれる仕組みだったため、副大統領選挙では民主党の張勉候補に票が集まり約20万票差で当選した。これによって、大統領と副大統領のポストを与党・野党双方が分けて占めるという、ねじれ現象がおきた。ただし、張勉が副大統領に就任しても強大な権力を持つ李承晩大統領に比べて権力らしい権力を振るう機会はなく、幽閉されているのに近い状態に陥っただけであった。
しかしながら長年にわたり独裁政権を維持し、加えて大規模な不正選挙を重ねてきた李承晩政権への国民の怒りは1960年に最高潮に達し、1960年の大統領選挙の政府・与党の不正選挙に怒った学生・市民らが起した四月革命により李承晩政権は崩壊し、与党副大統領候補の李起鵬一家は一家心中、李承晩はハワイに亡命した。
その後、韓国は韓国初の議院内閣制(第2共和国)に移行し、張勉は首相に就任した。この時の大統領は尹潽善であるが、第2共和国における議院内閣制下では韓国の歴代政権と違い、首相に権力があった。尹潽善がプロテスタントであったのに対し、張勉は、カトリック信者として金大中の代父を務め、金大中との関係も深い。
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