「てにをは」の本格的研究は、鎌倉時代末期から室町時代初期に成立した『手爾葉大概抄(てにはたいがいしょう)』という短い文章によって端緒がつけられた。この文章では「名詞・動詞などの自立語(詞)が寺社であるとすれば、『てにをは』はその荘厳さに相当するものだ」と規定した上で、係助詞「ぞ」「こそ」とその結びの関係を論じるなど、「てにをは」についてごく概略的に述べている。また、室町時代には『姉小路式(あねがこうじしき)』が著され、係助詞「ぞ」「こそ」「や」「か」のほか終助詞「かな」などの「てにをは」の用法をより詳細に論じている。
仮名遣いについては、鎌倉時代の初め頃から問題になり始めた。藤原定家の著作と伝えられる『下官集』は、仮名遣いの基準を前代の平安時代末期の草子類の仮名表記に求め、乱れを正そうとした(「定家仮名遣い」と呼ばれる)。ところが、「お」と「を」の区別については、平安時代末期にはすでに相当混乱があったために、そこに基準を見出すことができなかった。『下官集』ではアクセントが高いものを「を」で、アクセントが低いものを「お」で記している。南北朝時代には行阿がこれを増補して『仮名文字遣』を著した。行阿の姿勢も、基準を古書に求めるというものであったが、「お」「を」の区別については定家仮名遣いの原則を踏襲した。ただし、南北朝時代にはアクセントの一大変化があったため、一部の語彙に関しては定家の時代とはアクセントの高低が異なっており、そのために「お」と「を」の仮名遣いに齟齬も生じている。
なお、「お」「を」の区別は平安時代末期にすでに混乱していたため、五十音図においても、鎌倉時代以来「お」と「を」とは位置が逆転した誤った図が用いられていた(すなわち、「あいうえを」「わゐうゑお」となっていた)。これが正されるのは、江戸時代に本居宣長が登場してからのことである。
外国人による日本語研究も、中世末期から近世前期にかけて多く行われた。イエズス会では日本語とポルトガル語の辞書『日葡辞書』(1603年)が編纂され、また、同会のロドリゲスにより文法書『日本大文典』(1608年)および『日本小文典』(1620年)が表された。ロドリゲスの著書は、ラテン語の文法書の伝統に基づいて日本語を分析し、価値が高い。一方、中国では『日本館訳語』(1549年頃)、李氏朝鮮では『捷解新語』(1676年)といった日本語学習書が編纂された。
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