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2008年11月 アーカイブ

2008年11月07日

東部戦線

この頃ドイツ軍は、二次ルジェフの戦い以降、ソ連軍に対し完全に劣勢に陥っていた東部前線のクルスクを巡る戦いにおいて持てる予備兵力の大半を使い果たし敗北を喫した。前年からの相次ぐ敗北により装備も兵力も消耗し切り完全に疲弊したドイツ軍は、東部戦線ではこの後二度と攻勢に廻ることはなかった。[9]


フランス領内を進軍するアメリカ軍日系人部隊連合国軍の本土上陸を許した上に、エチオピア戦争の結果植民地としたエチオピアを含む北アフリカでの戦いにも敗北し、連合軍に対して完全に劣勢に立たされたイタリアでは、元駐イギリス大使で、指導者のベニート・ムッソリーニと関係の深かった王党派のディーノ・グランディ伯爵が、7月24日に行われた大評議会において、連合国との開戦とその後におけるムッソリーニの指導責任を追及した。この動きに対しムッソリーニの義理の息子でもあるガレアッツォ・チアーノ外務大臣ら多くのファシスト党の閣僚がこれに賛同し、孤立無援となったムッソリーニは失脚、同日憲兵隊に逮捕され即座に投獄された。

逮捕されたムッソリーニの後任として、国王エマヌエーレ3世に任命されたピエトロ・バドリオ元帥率いる新政権は9月8日に連合軍に対して休戦し、直ちにイタリア軍は連合国軍に合流した。しかし、逮捕された後に新政権によってアペニン山脈のグラン・サッソホテルに幽閉されたムッソリーニは、同月12日にヒトラー直々の任命により救出に駆けつけたナチス親衛隊のオットー・スコルツェニー大佐が率いる特殊部隊によって救出された。その後、かつての盟友であったヒトラーの保護下に降ったムッソリーニは、まだ連合軍の侵攻を受けていなかった北イタリア地域でナチス・ドイツの傀儡政権「イタリア社会共和国(サロ政権)」の樹立を宣言し、同地域は直ちにドイツの支配下に入ることとなった。

このイタリアにおける戦いと、その後のヨーロッパ戦線における戦いでは、アメリカ陸軍の日系アメリカ人部隊である第442連隊戦闘団が、アメリカ軍内における深刻な人種差別を跳ね除け、死傷率314%という大きな犠牲を出しながらもアメリカの陸軍部隊史上最多の勲章を受けるなど歴史に残る大きな活躍を残しており、この事は戦後の日系アメリカ人の地位向上に大きく貢献する結果を生んだ。


チュニジア戦線におけるド・ゴールまたドイツ軍とイギリス、アメリカ、自由フランス軍などの連合国軍が対峙していた北アフリカ戦線では、この頃より勢いを失ったドイツ軍に対して連合軍が主導権を握る。また、フランスの降伏以降自由フランスを指揮していたシャルル・ド・ゴールは、ヴィシー政権側につかずに残存していたフランス軍を率い、イギリス軍やアメリカ軍などの連合国軍と協調しつつ、アルジェリア、チュニジアなどのフランスの植民地を中心に対独抗戦を指導した。

この様に連合国がヨーロッパ戦線において完全に優勢になったことを受け、この年には、カサブランカとカイロ、テヘランにて、イギリス、アメリカ、自由フランス、中華民国、ソビエト連邦などの連合国各国の首脳による、今後の戦争の方針と戦後の枢軸国の処理が話し合われる会議が相次いで行われた。

アカ ココ 青春 ここ ハリ 赤い この指 この手 赤い こんな 赤い コンビ 赤い さあ サイ サイ 素直 サウ 小さな 草笛 サマ 蒼い 赤い ざま 息子 サン サン 続く サン 太陽 しあわ 打上 しあわ 大き じい ジェラ 大花 シェ 青い 大事 シティ 大切 ジパン 炭酸 じゃ ジュリ 地上

2008年11月09日

音韻論的

「てにをは」の本格的研究は、鎌倉時代末期から室町時代初期に成立した『手爾葉大概抄(てにはたいがいしょう)』という短い文章によって端緒がつけられた。この文章では「名詞・動詞などの自立語(詞)が寺社であるとすれば、『てにをは』はその荘厳さに相当するものだ」と規定した上で、係助詞「ぞ」「こそ」とその結びの関係を論じるなど、「てにをは」についてごく概略的に述べている。また、室町時代には『姉小路式(あねがこうじしき)』が著され、係助詞「ぞ」「こそ」「や」「か」のほか終助詞「かな」などの「てにをは」の用法をより詳細に論じている。

仮名遣いについては、鎌倉時代の初め頃から問題になり始めた。藤原定家の著作と伝えられる『下官集』は、仮名遣いの基準を前代の平安時代末期の草子類の仮名表記に求め、乱れを正そうとした(「定家仮名遣い」と呼ばれる)。ところが、「お」と「を」の区別については、平安時代末期にはすでに相当混乱があったために、そこに基準を見出すことができなかった。『下官集』ではアクセントが高いものを「を」で、アクセントが低いものを「お」で記している。南北朝時代には行阿がこれを増補して『仮名文字遣』を著した。行阿の姿勢も、基準を古書に求めるというものであったが、「お」「を」の区別については定家仮名遣いの原則を踏襲した。ただし、南北朝時代にはアクセントの一大変化があったため、一部の語彙に関しては定家の時代とはアクセントの高低が異なっており、そのために「お」と「を」の仮名遣いに齟齬も生じている。

なお、「お」「を」の区別は平安時代末期にすでに混乱していたため、五十音図においても、鎌倉時代以来「お」と「を」とは位置が逆転した誤った図が用いられていた(すなわち、「あいうえを」「わゐうゑお」となっていた)。これが正されるのは、江戸時代に本居宣長が登場してからのことである。

外国人による日本語研究も、中世末期から近世前期にかけて多く行われた。イエズス会では日本語とポルトガル語の辞書『日葡辞書』(1603年)が編纂され、また、同会のロドリゲスにより文法書『日本大文典』(1608年)および『日本小文典』(1620年)が表された。ロドリゲスの著書は、ラテン語の文法書の伝統に基づいて日本語を分析し、価値が高い。一方、中国では『日本館訳語』(1549年頃)、李氏朝鮮では『捷解新語』(1676年)といった日本語学習書が編纂された。

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2008年11月12日

ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国

ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国(―れんぽうしゃかいしゅぎきょうわこく、ロシア語:Закавказская Советская Федеративная Социалистическая Республика)は、1922年から1936年まで存在したソビエト連邦を構成する共和国の一つ。「ザカフカース」はロシア語で「カフカースの彼方」を意味する。

1920年以降、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアで、あいついでソビエト政権が成立した。ロシア共産党は、この地域の経済的、政治的統一を推進し、1922年末、ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国が成立した。そして、ロシア、ウクライナ、ベラルーシとともに連邦を構成する形で、ソビエト連邦が正式に成立した。

1936年、ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国は廃止され、グルジア・ソビエト社会主義共和国、アルメニア・ソビエト社会主義共和国、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国の3カ国へと分割された。

長い 七つ 誕生 オシ 社会 おし おばあ 秋風 おま 君恋 週に おも 出逢 おも 春の オリー オレン 春を お月 春一 お助 お天 暑い カーニ ガール 小さ カウ 君が かえ 小悪 かげ 少年 カシス かすみ 笑顔 かぜ 鐘を カモ 上級 ガラ ガラス カルメ 心の ガン 心の 受話


2008年11月16日

室蘭市(むろらんし)

天然の良港を活かし、鉄鋼業(新日本製鐵や日本製鋼所の企業城下町で、よく「鉄のまち室蘭」と称されてきた)を中心に、造船、石炭の積み出し、石油精製などで発展した、北海道を代表する重化学工業都市である。胆振支庁の支庁所在地であるが、人口や経済規模では苫小牧市に次ぎ支庁管内2位。室蘭の名前の由来は、アイヌ語のモ・ルエラニ「小さな坂道の下りたところ」の意による。明治期の呼称はモルラン。

面積が狭いため人口密度が「1,225.82人/km?(2006年(平成18年)8月1日現在)」と北海道では札幌市の「1,666.51人/km?(同)」に次いで2番目に高い。かつては20万近くを有する都市であり、人口密度も北海道で最も高かったが、基幹産業ともいうべき新日本製鐵や日本製鋼所等での大規模な合理化のほか、登別市や伊達市など地価の安い周辺都市[1]や、より札幌や新千歳空港に近く平地の多い苫小牧市での大規模開発などに押され、人口は1970年代後半以降減少が続き、1980年には苫小牧市に抜かれ、2005年の国勢調査では58年ぶりに10万人を下回った。

銀星 坂道 あさ あじ 空に あした 空想 幸せ アタ 空飛 あたし 偶然 あたた あたたか 君に あたたか 君の アダ 黒薔 君の ダイ あたら 君を あたら あつい 決断 あとの 月光 流星 あなた 月光 あなた 月光 あなた あなた 見え あの雲 古い あの雲 故郷 あの夏 鼓動 あの夏 あの海 好奇 あの空 街路樹 幸せな あの頃 幸せ


2008年11月20日

反李承晩勢力として民主党が旗揚

1955年、反李承晩勢力として民主党が旗揚げしたが、ここに張勉も加わり再び政治活動を再開した。1956年の大統領選挙では民主党副大統領(韓国では「副統領」と呼ぶ)候補として立候補したが、民主党の大統領候補の申翼煕が遊説中、急逝した。そのため大統領は与党自由党の李承晩となるものの、正・副大統領は別々に選ばれる仕組みだったため、副大統領選挙では民主党の張勉候補に票が集まり約20万票差で当選した。これによって、大統領と副大統領のポストを与党・野党双方が分けて占めるという、ねじれ現象がおきた。ただし、張勉が副大統領に就任しても強大な権力を持つ李承晩大統領に比べて権力らしい権力を振るう機会はなく、幽閉されているのに近い状態に陥っただけであった。

しかしながら長年にわたり独裁政権を維持し、加えて大規模な不正選挙を重ねてきた李承晩政権への国民の怒りは1960年に最高潮に達し、1960年の大統領選挙の政府・与党の不正選挙に怒った学生・市民らが起した四月革命により李承晩政権は崩壊し、与党副大統領候補の李起鵬一家は一家心中、李承晩はハワイに亡命した。

その後、韓国は韓国初の議院内閣制(第2共和国)に移行し、張勉は首相に就任した。この時の大統領は尹潽善であるが、第2共和国における議院内閣制下では韓国の歴代政権と違い、首相に権力があった。尹潽善がプロテスタントであったのに対し、張勉は、カトリック信者として金大中の代父を務め、金大中との関係も深い。

Only 仮面 気分 夏オ ガッ 家へ シン うき 望遠 七色 花ま 時を レモ 回転 回路 グッ 街の 石畳 学生 星の 楽園 バン 感謝 南極 去り 甘い 観覧 うれ 希望 休み 散歩 帰り マー 気ま エデ 汽車 祈り スク 季節 途中 都会 記憶 もっ 輝き 片道

2008年11月25日

赤 (Red) は光の三原色

赤 (Red) は光の三原色のひとつで、カラーモニターやウェブサイト上で用いられ、 緑 (Green) ・青 (Blue) と共に使われるためRGBと呼ばれる。 この場合の赤はRGB値で表すと

( R, G, B ) = ( 255, 0, 0 )

で表され、

ちなみに、ウェブカラーでRedと指定したときは、#FF0000として定義される(右図)。色合いとしては日常的に想起される赤よりも明るく鮮やかな色であると判断する人も多い。 そのほか、ウェブブラウザではDarkRedのが以下のように定義されている。

印刷技術の用語として、マゼンタをアカと呼ぶ場合もある。 そのため、光の三原色の赤に近い標準的な赤色をオレンジレッドなどと呼ぶ。 同様の色に、金赤(きんあか)がある。これは、イエローとマゼンタをほぼ一対一の割合で混合したものと定められている。 したがって、RGBでは定義されない。しかし、RGBとの対応関係をある程度明らかにすることは不可能ではない。

CMYK値を用いて C=0 M=100 Y=100 K=0

となる。ただしこれは仮構的な値とも言えるものであって、印刷や塗料の現場では大なり小なり差異が存在する。金赤として表現される赤は、一般的にイメージされる赤よりも黄色を帯びた赤である。また、RGBにを用いて似た印象の色彩は指示できる。英語ではこの色をブロンズレッド (bronze red) という。

JISの規格では赤およびレッドがそれぞれ定義されている。 両者は微妙に異なる色として定義されている。 また金赤もJIS慣用色名にも規定されている。

赤の色料
赤は太古より血や火の色などと関連させられ、ひとを高揚させる色として多くの人間に認識されていた。当然であるが各色の物理的顕示は各色を示す物体によって為される。赤色気味の色料の入手は比較的容易であった為、赤は殊更使われて来た色となった。ただし、赤色と我々の緊密性はこれにのみ依るものであるのではない。また、赤の色料は一般に耐光性が高くなかったが、近年高い耐光性を持つ顔料が開発され、自動車等にも使われている。

朱 (cinnabar,vermilion)
赤色の中で特筆すべきなのは、朱色([英]vermilion,vermillion)である。朱色は朱の色のことである。朱色の顕色は、辰砂(しんしゃ)、朱砂(しゅしゃ、すさ)、辰朱(しんしゅ)、丹砂(たんさ)と呼ばれる硫化第二水銀(硫化水銀)を用いる。赭土(丹、焼成土、弁柄。合成弁柄、三酸化二鉄)、鉛丹(光明丹、四酸化三鉛)、鶏冠石(リサージ、硫化砒素)を用いるか、或いはそれ以外の顔料や染料単独によって若しくはこれらの混合に基づいて、或いは他の朱色の発光物によっても、実現できる。

辰砂による朱(≠朱色)は壮美な発色をするので、紀元前から利用された。人工的に合成したものは銀朱とも呼ばれ、現在の朱(≠朱色)の多くをまかなう。現在でも朱砂は山口県萩などで採掘される。赤の色料の中でも、太古から使われている朱砂は、東洋では寿(ほぎ)の色材、呪術的な意味を付与された色材として重用されていた。例えば平等院鳳凰堂、中堂の四面扉には朱(≠朱色)が塗られた[1]。また朱漆としても用いられた。これは朱砂が持っている色彩自体の印象以外に、硫化水銀や水銀そのものの毒性に依存・依拠するものとも考えられている。そして、乾性油で練り上げられた朱は、今日台頭しているカドミウム赤や縮合アゾ系を以ってしても代替不可能な、油絵具の内で最高の不透明性を誇る類例のない色材である。ただし、色材としての硫化水銀の運用にあっては、硫化水銀の黒変を回避しつつ目的の色彩を定着させる高次の技術が要請される。

Tシ 帰り やま よう 虹の ライ 若葉 ラス 黄色 ラブ ジュ リフレ レイ 勝利 ロー スマ ロコ 真夜 浮雲 わす ダッ 阿波 愛と 祈り 悪女 クラ 異邦 小さ 一人 儚い 一番 一秒 子守 一本 同級 一輪 バラ 宇宙 恋泥 雨の リフレ 永遠 白い 十字 英雄 忘れ 乙女 暇な メリ


2008年11月30日

ジャッカル(後述)によって造り出されたピーター

ベン・ライリー (Ben Reilly)
ジャッカル(後述)によって造り出されたピーターのクローンであり、当初は彼がオリジナルだとされていた。
名前はベン伯父さんと、メイ伯母さんの旧姓ライリーからそれぞれ取られた。
ニューヨークに来てからは、第二のスパイダーマンスカーレット・スパイダーとして活動していた。ピーターが育児のため一線を退いてからは、彼がスパイダーマンとなる(衣装に違いがあり、ピーターかベンか区別が可能)。
復活した初代グリーン・ゴブリンとの戦いで、ピーターをかばって死亡する。
『マーベル VS DC』に登場するのは、ピーターではなく彼。ただし、「ピーター・パーカー」という名前をペンネームとして使用している。
エゼキエル (Ezekiel)
謎の人物。ピーターと同様の能力を持ち、その正体も知っていた。ピーターにモーランなどの新たな敵の存在を教え、サポートする。また会社を経営しており、ピーターとは違ったやり方で人々を助ける。
実はエゼキエルはピーターにスパイダーマンの力を与えた蜘蛛の神の遺跡から力を盗んでおり、モーランなどの敵は彼に引き寄せられたといえる。唯一のスパイダーマンになり、蜘蛛の神の祟りを防ぐためにピーターを身代わりにしようとするが、自己犠牲と希望に満ちたピーターの精神に触れ、祟りからピーターを庇い死亡する。

銀の ピエ 明日 ひとり ひと 明日 ビルの 明日 ファ 木星 ファ 夜の ファ プラ 約束 ブルー 夕日 風を ブル 予想 ブレ 陽炎 プレ ベイ 旅人 べに 旅立 ペン 春よ 恋す ベン 恋の ボー ぼく 恋の マー マイ 路面 また 六月 マド マニ 優しい マリ 永遠 風の メモ サボ 渚の

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